Dead or AliCe
『16人の救世主』

桟敷川映鏡
白手袋を投げ捨て、腕を捲った。
メイドが運んできた銀のトレイの上に乗っているアルコールを手にふりかけて、自身の指先を見ている。
桟敷川映鏡
そして視線の端に同室の女がいる。
桟敷川映鏡
視線が指先から外されて女をとらえる。
匕首咲
マスクだけを身に着けた裸の女が、ベッドの上で、ぼんやりと天井を見ている。
桟敷川映鏡
歩み寄り、ベッドに腰かけた。天井を見ている視線を見ている。
桟敷川映鏡
脇においた銀のトレイに乗った手術道具がかちゃ、と無機質な音を立てる。どれも消毒されていて、非常に清潔だ。
桟敷川映鏡
シーツも、枕もメイドの手によって新しいものになっている。
この国において、いや。今まで自分が暮らしてきたどの場所よりも、今この空間はおそろしく清浄だ。
桟敷川映鏡
手を伸ばして、マスクの上から口の裂け目をなぞった。
桟敷川映鏡
ここも裂け目といえば裂け目か。
桟敷川映鏡
「麻酔ないので、左手は噛み潰しても構いません」
桟敷川映鏡
どうだか。用意しようと思えば出来ただろう。
匕首咲
「そりゃどうも」
桟敷川映鏡
その方がいいかもしれないな、と思っただけだ。
匕首咲
映鏡の指が、マスクの上から唇に触れる。
そういえば、誰かに唇を触られたのは初めてかもしれない。
匕首咲
体を触られたことはある。
それはいつも下卑た性欲が伴う行動で、震えるだけしかできなかった。
匕首咲
それは、つい先程の行為も同じだ。
匕首咲
優しく触れるのは、母親と、父親と、幾人かの女達。それと、ああ、そうだ。アルマもそうだったか。
匕首咲
「あたしはさ」
桟敷川映鏡
「はい」
匕首咲
「女を玩具にされるのが嫌だったんだけど、女が嫌なわけじゃなかったんだ」
匕首咲
そう、女が嫌な訳ではなかった。
桟敷川映鏡
「でしょうね」
桟敷川映鏡
マスクのひもに指をかける。そういえば数日前もこんなやりとりをした。
桟敷川映鏡
喉の奥で笑って、耳の金属に触れるようにしてマスクを取り去る。 
匕首咲
女の方が美しいし、いつだって優しかった。男はいつだって陰嚢に脳を支配されている。
そうではない男がいるのは知っているが、多くはない。 
匕首咲
「ん」
匕首咲
「おい、耳に触るなよ……」

片手を上げて静止しようとするが、まぁいいか、と手を下ろした。
桟敷川映鏡
「触ってないですよ、耳には」
匕首咲
「それ、服に触って体に触ってないって言うようなもんだろ」 
桟敷川映鏡
ベッドで寝そべる肢体の横に座る。
頭を枕で固定し、立てさせた足の下に自身の脚をいれて固定した。
桟敷川映鏡
シーツの上で銀のトレイが引き寄せられる音。
匕首咲
「女が嫌じゃなかったからさ……。
だから聞いたんだよ」
匕首咲
「映鏡、最後に聞いてもいい?」
桟敷川映鏡
「ええ、どうぞ」
匕首咲
「あたし……」
匕首咲
映鏡の目を見る。
自分はこの男になんと言って欲しいのだろう。

ここで醜い、とは言わないだろう。しかし彼のことだから、普通、くらいは言うかもしれない。

そうじゃなければいいな、と思う。
バケモノではなく、女として魅力がある、と言ってもらえたら、いいな。

そう思う。
匕首咲
「あたし、きれい?」
桟敷川映鏡
少し、小さく笑う程度の沈黙。
桟敷川映鏡
「……おきれいですよ」
桟敷川映鏡
「客観的にみても」
桟敷川映鏡
男の眼の色が揺れる。
桟敷川映鏡
異形の女の頤にきれいだなどと、言わせるだけの世界が男のなかには詰みあがっていた。
桟敷川映鏡
愛でも、聡さでもない。
ただの小さな誇りだ。
桟敷川映鏡
見世物小屋なんて悪趣味な世界で生きてきたことの、どうしようもない情だった。
匕首咲
その答えに驚いて目を見開いたが、すぐにため息が漏れる。
匕首咲
客観的に見て、"そう"ではないことは理解している。

まぁ、でも、いいかな。
こいつの客観は、そういう世界なんだろう。
こいつの中では、普通に、きれい、ということなんだろう。

それならそう悪くない。
匕首咲
悪くはない、が。
まぁ、ここで客観的にとか言うか?
匕首咲
「客観的にとか言うな、バカ」
桟敷川映鏡
「はは」
桟敷川映鏡
おきれいですよ。客観的にみても。
桟敷川映鏡
自分で言った言葉を自分のなかでもう一度繰り返してみる。
桟敷川映鏡
笑い、ガーゼにアルコールを浸した。
白い腹部に触れる。ぷつぷつと見える穴。
桟敷川映鏡
「こちらは古傷か何かですか?」
匕首咲
「それは口と一緒だよ。
ただのアクセサリー」
匕首咲
咲の腹側部にある気門は、実際に機能していない。ただ、それらしく見える窪みが付いているだけだ。 
桟敷川映鏡
アルコールのひやりとした温度が肌に触れるだろう。
そのまま滑らして消毒をする。
匕首咲
ガーゼが触れると、びくりと体を震わせた。
匕首咲
気まずそうに、目を逸らす。
匕首咲
「あたしさ」
匕首咲
「娼館で生まれたんだ」
匕首咲
「普通の人間を手術で化け物にして、遊びやすくする、趣味の悪い娼館でさ。
そこの穴とか、口とか、色々は、そういうことなんだ」
桟敷川映鏡
作業の手を止めない。
桟敷川映鏡
腹部を指が軽く押すように動く。
これからとりさるものの位置を確認している。
匕首咲
体に触れると、ぴくりと震える。

「おい……あんまり触るなよ……」
桟敷川映鏡
用意されていた軟膏を指にとった。
指が、腹部より下に滑る。
匕首咲
「…………」

少しだけ、口元にある映鏡の指を噛んだ。
桟敷川映鏡
予想していた鈍い痛み。
桟敷川映鏡
軟膏を塗った指を差し入れる。中から位置を確認する。
ここは尿道、ここは膣。
関係のない臓器を傷つけるのを避けるために。
桟敷川映鏡
心得がある──とはどういうことか。
桟敷川映鏡
──赤マントの怪談は、この世界に来る前の話だ。
桟敷川映鏡
夜な夜なたちんぼを殺し、その子宮を抉っては捨てていた。
桟敷川映鏡
情婦浚いの怪人。
この国に来てからもそうだったかは知らないが── 
桟敷川映鏡
見出しだけにすればその程度のものだ。
やり方が詳しく書いてあるわけじゃない。
桟敷川映鏡
ただそれでも、今は。
出来うる限りの丁寧さをもって行われている。
桟敷川映鏡
その手つきは不躾ではあったが乱暴ではなく。愛を感じられはしないが、ひとさじの情があった
匕首咲
指が差し込まれると、小さく呻いたが何も言わなかった。甘噛みだった指が、強く噛まれる。
桟敷川映鏡
噛まれている指をねじ込んだ。
指に舌が触れる。
血が口の端から流れ出してくるのを見ている。
桟敷川映鏡
指を引き抜く。おおよその位置を確認した。
唇の上に零れだした自身の血を掬い取って、腹の上にその血でマーカーを置く。 
桟敷川映鏡
メスの鋭い光が室内のランプの明かりに反射する。
匕首咲
指を引き抜かれると、唾液が糸を引いた。
少しだけ上気した顔で、マーカーを、メスの光を見る。
桟敷川映鏡
再度手を、口元に戻す。
桟敷川映鏡
「始めます」
桟敷川映鏡
刃先が皮膚を裂く薄い音。
匕首咲
困ったような顔で映鏡を見上げていたが、開始の合図に目を閉じる。
桟敷川映鏡
今度は自ら指を噛ませた。
匕首咲
「ぐ」

呻き声が漏れた。指を素直に噛み締める。
桟敷川映鏡
ガーゼで零れる血を拭いながら、胎を指で探る。
桟敷川映鏡
言葉を発することはない。
ただずっと、赤い血がシーツやガーゼを染めていくのを見ている。
桟敷川映鏡
内臓が蠢くのを感じている。
桟敷川映鏡
指先が血にまみれた粘膜に触れる。
どれほどの激痛が女に走っているのか、想像をする。
匕首咲
腹をメスが裂き、脂肪や筋肉や膜が傷付き、中身を掻き分けられている。

意外と、そこまで痛みは感じなかった。
アドレナリンかなにかが出ているのか、そういう用途にも使いやすいように体がいじられているのか、どちらかは分からない。
匕首咲
「……はぁっ」

噛み締めていた指から牙を離し、息継ぎをする。
匕首咲
ずっと息を止めていたことに気が付き、痛みを堪えながら、少しずつ息を吸い、吐く。
匕首咲
痛みはまだマシだ。
触られるのに比べれば、ずっといい。
桟敷川映鏡
今までに同じことをした娼婦のことを少し考えてみる。
顔も名前も思い出せない。
ただ胎の中を引きずり出す経験だけが指先にあるだけ。
桟敷川映鏡
息継ぎの音。
視線を向ける。自分は今どんな顔をしている?
桟敷川映鏡
言葉にして問うことはない。
桟敷川映鏡
息継ぎを留めるように指を押し込む。
匕首咲
「ん」

指を押し込まれて、僅かに呻く。
桟敷川映鏡
メスを差し入れて膣と子宮を切り離しにかかる。
 
匕首咲
指に、牙が食い込む。
桟敷川映鏡
その様子を見ている。
時折、息を吐く。 
匕首咲
メスが、内臓をいじくっている。
匕首咲
小さく息を吐き、じわじわと指から歯を離す。
桟敷川映鏡
片手では存外やりにくい。
淡々と進める。血と内臓の水音が響く。 
匕首咲
「……あたしも娼婦にされる予定だったんだけど」
匕首咲
はぁ、と大きく息を吐いた。
なんでこんなところで、知り合って数日も経っていない男に内臓を好きにさせているのだろう。
匕首咲
「でも、もう、これで」
匕首咲
子宮が、子供を抱くための器が。
自分の体から切り離されてゆく。

女である証。女である器官。
自分が来たところ。
誰かに、来て欲しかったところ。
桟敷川映鏡
パチン。パチンと、ハサミが残った臓器を切り離す音。
匕首咲
別に、子供が欲しいと思ったことはなかった。
でも、いつかは家庭を築くこともあると思っていた。

自分のことを受け入れてくれるすてきな人と出会って、恋をして、子供が生まれて、一緒に暮らして。歳を取って……。

そういう全てが、すっかり失われてしまう。
匕首咲
「これで、腹の中、ただの空洞になるんだな」
匕首咲
何もない空洞。
誰も訪れない空虚。

新たな生命を宿すことはない。
その準備すら行われない。

女としての機能があっただけの、なにもないがらんどう。

それだけを、死ぬまでずっと抱えていかなくてはいけない。
匕首咲
「まぁ、でもいいよ」
桟敷川映鏡
指を差し込んで、とりさらわれるものを引き抜く。
銀のトレイの上に置いた。血が光る。
ただの内臓。これはただの内臓になる。
桟敷川映鏡
男が咲を見る。
匕首咲
「――お前がきれいって言ってくれたから」
桟敷川映鏡
そうですか。と少しだけ呼吸のように呟いた。
匕首咲
自分の”女”を奪う男が、自分をきれいだと言ってくれたから。自分は女なんだと思って、生きていける。

少なくとも、今は。
桟敷川映鏡
おきれいですよ。
桟敷川映鏡
客観的にみても──
桟敷川映鏡
みて、も ── も、に乗った何かを男すら知らない。
桟敷川映鏡
針と糸を手に取り、そのまま縫合が始まる。
桟敷川映鏡
傷口は縫い閉じられていく。
匕首咲
皮膚を針が突き破り、開いた傷口を糸が閉じてゆく。
匕首咲
指を噛もうかどうか少し悩む。
痛みに大分慣れてきた。

静かに、舌に触れる映鏡の指の感触と、血の味を感じている。
桟敷川映鏡
そういえば、母親も。
桟敷川映鏡
同じようなことを聞いてきたっけ。
桟敷川映鏡
噛み潰された左手で少しだけ金色の髪を撫でた。 
桟敷川映鏡
石鹸のにおいが、どちらのものかさえわからない血のにおいと混ざる。
匕首咲
髪を撫でられて、ぼんやりと映鏡の顔を見る。
桟敷川映鏡
「終わりました。お疲れ様です」
匕首咲
大きく、息を吐いた。
桟敷川映鏡
いつも通りの皮肉を浮かべた笑みが顔に張り付いている。
桟敷川映鏡
「体を拭きますので、お湯を沸かしましょう」
桟敷川映鏡
ずっと無言だった男は終わりました、と告げたとたんに滑らかに喋り出す。
桟敷川映鏡
メイドがドアをノックするまで、どうでもいいことを話し続ける。 
桟敷川映鏡
本当にどうでもいい、とるに足らない、よしなしごとを。
匕首咲
映鏡の話に適当な相槌を打ちながら、自分から切り出された臓器を見る。

ただの肉塊だ、あれは。
今となっては。これからずっと。
メイド1
ノックする。見ていたように。見計らっていたように。
メイド1
それから返事も待たずに、静かに入る。
メイド1
わずかに目を細める。
メイド1
「保存なさるなら準備できますが、如何致しますか?」
桟敷川映鏡
「記念にとっておきます?」
桟敷川映鏡
手を洗いながら尋ねる。
匕首咲
「いらん」
匕首咲
ほしいならやるよ、と投げやりに付け加えた。
桟敷川映鏡
「ここには川がありませんからねえ……」
桟敷川映鏡
切り取った子宮はいつも川に捨てていた。
桟敷川映鏡
賽の河原の話だ。女と子供に用意された最初の地獄。
川に流されて、いつかそこに辿り着けばいい。 
桟敷川映鏡
この世界にも地獄があればいいなと思った。
桟敷川映鏡
「そちらで処理してください」
桟敷川映鏡
メイドにそう告げる。
メイド1
「わかりました。では――」
メイド1
トレイを取る。血に濡れた手術道具が縁を滑り、カランと虚ろな音を立てる。
メイド1
「破棄を」
匕首咲
"女"が廃棄されるのを、ぼんやりと見ている。
メイド1
血が流れ出でて、取り出したときよりもいくらか青ざめた器が横たわっている。
匕首咲
肉とはいえ、進んで口にしたいものもいないだろう。
仕様用途のない肉塊だ。
ただの、廃棄肉。
メイド1
一礼し、去る。
匕首咲
今となっては、ただの廃棄肉なのだ。

自分の子宮は。
自分の女の部分は。
匕首咲
のろのろと体を起こす。
血に塗れたベッドの上は、まるで出産直後のように見えた。
匕首咲
出産だとするならば。
多分、死産だった。