幕間 Room No.5&ティモフェイ
*
台所から出たアレクシアを伴ってシャルルが向かうのは、温室。
温室と言っても、一面がガラス張りである部屋というだけで。
植物もなければ陽光もない。
硝子の向こうには、ただ砂塵が舞うばかり。
シャルル
「俺、ここに来るとき『温室』って言われてて。」
シャルル
「着いたとき『これ、温室なんだ。』って言ったんだ。」
シャルル
「『温室』って言葉にさ、漠然と『植物があるところ』っていう意識があって。」
シャルル
「でも、見たことがあるわけじゃなくて。」
アレクシア
「わたしは、あんまり……屋根のあるところに、あるって印象は……ない、かな」
シャルル
「そうなんだ。じゃあ……やっぱり、なんだろう。それぞれの持ってる……常識っていうのが。」
シャルル
「違っていたのかもしれないな。たぶん……同じ世界から来たってわけじゃ、なさそうだし。」
アレクシア
「ずっと一緒だったわけじゃ、きっと、ない……」
アレクシア
具体的なものは、何も思い出せない。
けれど、確かに。そうした何かのことを、知っている感覚。
シャルル
「『この国に観賞用の植物はほぼ存在しない』って。だから……花はきっと、此処にないんだろう。」
アレクシア
一度、天井を仰いだシャルルの横顔を見。
シャルル
「わかるのと、覚えてるのって。違うんだな。」
アレクシア
「……わたしたちに言葉が残っててよかったって、……少しだけ、思った、……今」
シャルル
「確かに、アレクシアが何も話してくれなかったら……」
シャルル
「うん。きっとこんな風に。何かを考えようとも、思わなかった。」
シャルル
「マキナ、さん。と……ちゃんと、話せた?」
アレクシア
「たぶん、マキナさん、すごく……傷ついてたと、思う」
アレクシア
「……もしかしたら、戦って、勝つより……」
アレクシア
「もしかしたら、本当は……わたしとも、会わないほうがよかった、かも」
シャルル
足元の砂を機械の手で掬えば、さらりと隙間から落ち切ってしまう。
シャルル
「どう思ってるかなんて、本人にしかわからないけどさ。」
シャルル
「起こってしまったものは変えようがないよ。それこそ……奇跡でもない限り。」
シャルル
「救った砂は地面に落ちるけど、まったく同じところに落ちる砂粒なんて一つもない。」
シャルル
「よかったかどうかは、終わってみないとわからないよ。」
アレクシア
「それに……マキナさんが、自分で決めること、だろうし」
アレクシア
「わたしは、大丈夫だよって……そう、言ってあげたかっただけ」
アレクシア
「それをどう思うかも、……きっと、マキナさんは、自分で選べると思う」
シャルル
「ここから見てると。アンタは、花みたいだ。」
シャルル
花も太陽も、見たことなんてないのだけれど。
アレクシア
「……今のわたしが、見たことあるわけじゃ、ないけど」
アレクシア
「太陽って、だって、……きっともっと、明るくて」
アレクシア
「……明るくて、あたたかくて、……そういうものでしょ」
シャルル
「空っていうには少し、狭いかもしれないけどさ。」
ティモフェイ
今度は騒々しさもない、ただ軋むような音。
ティモフェイ
かつて相対したはずの救世主が顔を出して、
ティモフェイ
そこに首輪のないことに、あなたがたが違和感を覚えるかはわからないけれど。
アレクシア
見知らぬ、というのは、少し違う気がする。
モニターの向こうに見ていた救世主。
『シャルル』と『アレクシア』に勝ったという、6号室の。
ティモフェイ
男の側には記憶もあるはずだったが、そこにいる二人の空気はやはり『違う』。
ティモフェイ
見たことのない女の顔と、見たことのない男の顔。
[ ティモフェイ ] 情緒 : 0 → 0
ティモフェイ
しかし身を返すことなく温室内へと足を踏み入れる。
シャルル
それは、問いかけというよりは呟くように。
ティモフェイ
淡々と答えを返してから、改めて二人を見る。
シャルル
「圧?……俺、いや。『シャルル』にか。」
ティモフェイ
「きみにも」アレクシアに視線を巡らす。
シャルル
「……見せてもらったよ。『裁判』を。だから、なんとなくなら……その意味は理解できる。」
ティモフェイ
長い逡巡にくちびるをさまよわせた末、ようやっとの声。
シャルル
「…………はあ、そう。気恥ずかしい、か。」
ティモフェイ
「思ったより恥の意識があったらしい」
ティモフェイ
捨ててしまった感傷だと思っていたが。
シャルル
「『俺』は、アンタの試合を見るのは初めてだから。」
シャルル
「その前の『アンタ』はよくわからないが……。」
ティモフェイ
シャルルを見る。短くなった髪を。眼鏡を外された裸眼を。
シャルル
「そんなに恥ずかしいものでは、なかったように思うよ。」
ティモフェイ
「いや」気付いて軽く手のひらを振り、
ティモフェイ
「と、いうか、あれが忘れさせたのだが」
ティモフェイ
「俺はひとつ、宣言をしていてだな……」
ティモフェイ
語りながら、これまずいな、という気分には薄々なってきてるんですが。
ティモフェイ
「奇跡の力で、全ての人を『救済』すると」
ティモフェイ
自分の恥ずかしさの解説をしています。
ティモフェイ
「熱烈な告白になるのかもわからんが……」
ティモフェイ
「というか、噛み合ってなくなかったか?」
ティモフェイ
墓穴を自覚してかなり閉口しています。
シャルル
「自分の事、狂ってるとか言ったり。恥ずかしがったりとか。」
シャルル
「まあ……あの、試合の時。いろいろ……凄かったけどさ。」
シャルル
「手元に光る剣が出たり。ほら……最後のあれとか。」
シャルル
「救世主って呼ばれてるし、背負うものとか……いろいろあったみたいだし。なんか……」
シャルル
「たった数日の記憶しかない俺でも、その凄さみたいのがさ、わかるっていうか……そんな感じだったのに。」
シャルル
「『気恥ずかしいだけの話』って。はは……」
アレクシア
「たった一人、救いたいと思うのは……」
アレクシア
「……そう、『選んだ』のではないの?」
アレクシア
「世界は、そのひとの目に見える……その全部でしかないんじゃ、ないのかなって」
ティモフェイ
というより、自分たちがそのようにした、のだが。
ティモフェイ
「きみたちは、互いを見ているだろう」
アレクシア
「……たとえ、相手から見てもらえなくても」
ティモフェイ
「きみたち、相変わらず、なんというか」
ティモフェイ
「コインさえ渡されればすぐに戦えそうだ」
シャルル
「そりゃ、なんていうか……光栄、なのか?」
シャルル
「……記録でも残ってりゃよかったんだけど。生憎実感どころか、どんな試合だったかも聞いてなくてね。」
シャルル
「だが……『シャルル』がなんか、戦い慣れてたってのと。『アレクシア』のが……ひどい怪我してたのはわかった。」
ティモフェイ
「先に倒れたのは、彼女のほうだった」
ティモフェイ
「きみは彼女を守っていたが、彼女の方が我々にとっては厄介でね」
シャルル
「外すときもつける時もすげー痛かった。死ぬかと思った。」
シャルル
「恨んでるとかって、わけじゃないんだ。」
シャルル
「2人とも、死ぬほどの怪我じゃなかった。」
ティモフェイ
ティモフェイのそれも、懐かしむような色を滲ませていた。
シャルル
瞳の色は静かだ。嘘を言っている風ではない。
シャルル
「突き刺すのが、一番……殺傷力が高いだろ。」
シャルル
「じゃ、頑張ったんだな。『シャルル』は。」
ティモフェイ
「俺の相方はそこの彼女を鞭打ちにしたが」
シャルル
「鞭打ち……ああ、なるほど。そうか……。」
ティモフェイ
「……かつてのきみは、血相を変えて飛び込んできたし」
ティモフェイ
「それを見守っていた末裔を皆殺しにしようとしていたが」
ティモフェイ
「その後、何事もなかったかのように俺に給仕してみせていた」
シャルル
実感が……ない。まったくと言っていいほどに。
シャルル
「へぇ……『俺』には。できそうにないがね。」
シャルル
「…………ま、今こうしてさ。話してるだろ。」
シャルル
「それもさ、たぶん。落ち着いていられるのは……アレクシアのおかげでさ。」
シャルル
「記憶を失っただけじゃ、俺はここでアンタに殺されてただろうし。」
シャルル
「正直、記憶を失う前の事なんてわかんないし。」
シャルル
「それ、俺は全然わかんないんだけどな。」
シャルル
「まあ……そうだな。それは……言うな、たぶん。」
シャルル
「でも、今話してるアンタはさ。普通の男に見えるよ。ちょっと頑張りすぎっぽいけど。」
ティモフェイ
「救世主と仰がれようが、望まれようが、何がしかの特別な力を発揮しているように見えても」
ティモフェイ
愚かで醜い卑怯者で、つまらない男だ、
ティモフェイ
とまでは、この二人の前では口にしないが。
シャルル
「やっぱ、頑張りすぎじゃん。アレクシアも、そうだけど。」
アレクシア
「……トイトロールを救いたいって、言う、普通のあなたは」
アレクシア
「ここで、勝ったとき……何を、願うの?」
アレクシア
「あなたが本当に願いたいことは、……何?」
ティモフェイ
「奇跡の力で、全ての人を『救済』する」
ティモフェイ
「この世界で、救済をやりなおして、『救世主』になる」
アレクシア
「……手の届かないものは、きっと、ある」
アレクシア
「大切なものを、本当にまっすぐ、自分で、救いたいと思っているのかなって……」
アレクシア
「……また、『どうして』って、聞かれるんじゃないかな」
アレクシア
「今度は、……自分しか、そう尋ねないかもしれないけど」
シャルル
「記憶、思い出。そりゃ……思い出したくないこともたくさん、あるかもしれないけど。」
シャルル
「どうしろってわけじゃなくてさ。なんつーか……手段っていうか。」
シャルル
「思い出そうと思えば、思い出せるところに。いるんだろ。アンタの……救いたい人は。」
シャルル
「目の前だけじゃなくてさ。そこに、いなくてもさ。」
シャルル
「俺が、知ってるのは目の前にいるアレクシアだ。昨日も。一昨日も。一緒だった……アレクシアだ。」
シャルル
「別に。そんな昔の事じゃなくたってさ。思い出せるものは……ある。」
シャルル
「…………アンタが救いたかったものと。」
シャルル
「俺は他人事だから、何とでもいえるけど。」
ティモフェイ
温室に薄汚れたマントを翻し、扉に手をかけて。
ティモフェイ
そうしてまた、外界と温室が隔絶される。
シャルル
「…………ありがとうって言われるようなこと、言ったか?」
アレクシア
「別に、何をしたり、されたりしたわけじゃなくても、」
アレクシア
「……そう言いたいときって、あると、思うよ」
シャルル
「救済って、俺たちどうなるのかな。……その前に、死ぬかもしれないけど。」
シャルル
「もし……決勝が終わってて、生きてたらさ。」
シャルル
「それでも、最後まで一緒にいてくれる?」
アレクシア
シャルルの手に、ぬくもりは伝わらない。
シャルル
そう言って、腰を曲げて。
顔を近づけて、少し、迷って。