幕間 Room No.6
メイド8
オールドメイドゲーム2回戦Aホール勝者の部屋。
メイド8
勝者である2人はメイドらに運ばれて部屋に戻ってきた。
メイド8
6号室のメイドは待ち構えていたようにドアを開け、2人を出迎える。
メイド8
「おかえりなさいませ。第二回戦、本当にお疲れ様でした」
ティモフェイ
血まみれの惨状のままメイドに出迎えられ、
ティモフェイ
そのことばに、うつろな瞳をわずかに彷徨わせた。
メイド8
取り替えらればかりのシーツが赤く濡れる。
ティモフェイ
ベッドの赤くにじむそのさまを見つめている。
ティモフェイ
この男が刺剣の館のベッドを、自らに用意されたベッドを使うのは初めてのことだった。
ティモフェイ
眠るにせよ休むにせよ、この男はベッドを使わずに来たから。
ティモフェイ
壁に背中を預けて俯いてはつかの間の微睡を得る、
ティモフェイ
自分にはそれで十分だと片付けてきたのが、
ティモフェイ
ばふ、と頭からそれを被って丸くなった。
メイド8
あなたがたは救世主で、更に多くのコインを手に入れた。仮に命に関わるケガをしていたとしても、身体はそれすら治してしまえるだろう。それだけ6ペンスコインの力は絶対だった。
ティモフェイ
だから今までと同じ。ベッドを使う必要も本来はない。
ティモフェイ
それがぐだぐだと布団に潜り込み、今はその中で丸くなっている。
メイド8
それでも治療する準備はあった。ケガを治す必要はなくても、治療は意味があること――それを必要とする者にとっては。
トイ
ベッドから立ち上がり、丸くなるティモフェイの傍へ寄る。
ティモフェイ
シーツに滲む血の色はあざやかだった。
メイド8
メイドは机においてあった箱を開く。医療道具が入っている。
メイド8
「私が手当をいたします。ご安心ください。すぐに良くなりますよ」
トイ
「……そうだ、水――いや、湯を沸かしてもってきて」
メイド8
仮面に隠れて伝わらない表情を、補うように身振りが大きい。ことトイに対しては。
トイ
懐いている6号室のメイドの、いつも興味を惹かれる身振り手振りも。
トイ
今は気もそぞろ。気になっているのは眼下の…重症の男だ。
メイド6
キッチンには戻らず、バスタブにお湯を出している。
ティモフェイ
「なんの興味も、ありはしないんだ……」
ティモフェイ
今もなお蹴り込まれた傷から血が溢れて、シーツを汚している。
トイ
「裁判の時、正気を失って心にもないこと言ったのか」
ティモフェイ
観念したように息を吐き、まぶたを伏せた。
ティモフェイ
「てっきり、あそこで罰が、下るものだと」
ティモフェイ
儀をしくじった俺に処刑を言い渡したあの女のように。
ティモフェイ
自分に罰を下すものだと、信じていたのに。
メイド6
桶にお湯をたたえて持ってくる。湯気がもうもうと立ち上っている。
トイ
…トイの心の中に一番にやってきたのは、恐怖だ。
ティモフェイ
いつもはトイトロールのよくやる仕草。
ティモフェイ
それをティモフェイは棒立ちに見守っていたものだが。
トイ
トイトロールは、自分に予想できない人間の行いを何よりも恐怖している。
トイ
『いままで、自分はこの男の何を見てきたのだろう?』
メイド6
戦くトイの様子と、布団の塊を交互に見る。
ティモフェイ
喉に引っかかったように声が喉に押し込められて、
トイ
今更ながら、この人間が自分の想像できない何かを持っていて。
メイド6
ベッドに歩み寄り、布団の下に手を突っ込み、その端を探るように掴む。
メイド6
「大丈夫ですよ」とトイにはほほ笑みかけ。
メイド6
「いいですか。あなた様のためにこうするんじゃありませんよ」
メイド6
「これが私の仕事で、これが私の意志だから世話をするのです」
メイド6
お湯を浸したタオルで拭う度、その傷の所在が明らかになる。
ティモフェイ
処刑される前の狼藉で負わされたもの、
メイド6
ティモフェイ様が己のすべきこと、としてトイ様を救うというのであれば。
メイド6
これくらいの『出過ぎた真似』は、許されるはずだ。
ティモフェイ
「それを理解し、癒そうとしたことが」
トイ
ティモフェイは、裁判で。他はすべてどうでもよいといった。
トイ
愛ではないだろう。情ではないだろう。
責任という言葉では軽すぎる。
トイ
肉体を持つ男ではない。その先にある、魂への。
トイ
忘却の国の、生贄にふさわしい
かつての彼の恋人マルタや、アンジェラがもっていたもの。
トイ
普通に育てば、マルタやアンジェラと同じように無垢にそだったものを
トイ
大切にされなかったというだけで、ここまで悪辣に、暴虐に、淫乱に歪んである。
トイ
こうなった、という証明としてティモフェイの前にある。
ティモフェイ
だからティモフェイには、トイトロールを救う責任がある。
ティモフェイ
ティモフェイの存在がために不幸に巻き込まれた彼に対する、責任がある。
ティモフェイ
そして何より、ティモフェイが救いたかった者の持っていたものを。
ティモフェイ
清らかな魂を、トイトロールは持っている。
ティモフェイ
何よりも救いたかったものをトイトロールは持っていて、
ティモフェイ
「――俺を、いまでも、救世主として扱うのが!」
ティモフェイ
背を折る。ガーゼを当てられた傷が疼く。
ティモフェイ
それが醜い真実から気をそらしてくれたらよかったのに、
ティモフェイ
ティモフェイと同じ顔をしていたがために、救世主のまねごとをさせられて、
ティモフェイ
救世主の代わりに、その痛みを引き受けさせられた、あわれできよらな魂。
メイド6
「何言ってるんですか。救世主様は救世主様ですよ」
ティモフェイ
トイトロールの涙を落とす様に、慰めの言葉ひとつかけられはしない。
ティモフェイ
メイドの言葉に反駁するほどの力もなく。
メイド6
末裔にとっては、どのような人物であろうと、救世主は救世主だ。
ティモフェイ
「俺を救世主と思う者が、いなくなる」
ティモフェイ
末裔は異世界からの来訪者を、6ペンスコインを持つ者を。
メイド6
誰も彼もどうかしていて、魂の清らかさなど関係なく、どんな容姿とも関わらず。
ティモフェイ
皆救世主として仰ぎ、彼らに力を尽くし、期待をかける。
トイ
トイトロールが儀式に参加したのは、ティモフェイを儀式に参加させるため。
ティモフェイ
ティモフェイにとっては、『足りない』。
ティモフェイ
末裔の言葉も声も、自分が救世主であるという自信にはつながらない。
ティモフェイ
とうにその資格のないことを、頭では理解していたはずなのに!
メイド6
枕を引き抜いて、ゆっくりと身体をベッドに横たえなおす。
ティモフェイ
ぼんやりとメイドを見上げる、血まみれの男の顔。
トイ
「……ティモフェイ、
世界を救ってくれないの?」
ティモフェイ
痛みを糊塗するような仏頂面で、けれど眉を寄せて。
ティモフェイ
トイトロールのために流す涙のひとしずくも、
ティモフェイ
「きみのほうが、救世主には、ふさわしかったのだろうな」
ティモフェイ
「俺のような出来損ないよりも、きみのほうが」
ティモフェイ
救世主の血は夥しく寝台を汚している。
トイ
「オレなら儀式を途中で止めたりしなかった…」
トイ
「オレならひとりのためにみんなを犠牲にしたりしなかった」
トイ
「オレなら、儀式をできなくなったらそれを隠したりせずちゃんと言った…」
ティモフェイ
横たわったまま、泣き咽ぶ男の顔を見上げている。
ティモフェイ
「救いたいと思っているのは、本当なんだ」
ティモフェイ
「きみのためにきみを救いたいんじゃない」
ティモフェイ
「俺が救世主であるために、きみを、救いたい」
トイ
嗚咽に肩を震わせて、何か応答しようとした息が漏れる。
ティモフェイ
「俺は、きみを救うというポーズを取ってきただけだ」
ティモフェイ
「ただ、勝ち抜くことだけが証左だった」
ティモフェイ
「きみを救うための、努力をしている」
ティモフェイ
「そのためだけにあの女主人と従者を打ち破り」
ティモフェイ
「果たして何を得、何を願えばいいのか」
ティモフェイ
ぼんやりとトイトロールを見上げている。
トイ
「オレが犠牲になって、世界で、災害で死ぬ人がいなくなれば」
トイ
「裁判とか、なんだとか…世界の残酷なことわりがなくなれば」
ティモフェイ
「俺はきみ個人に対する興味を持たない」
ティモフェイ
「俺を真に救世主として扱うという、その意義でしか」
トイ
「オレお前がどんな人間か知らないままだったから」
トイ
「真に救世主として扱うという、その意義に価値を感じるなら」
ティモフェイ
――だから、きっと自分は、本当に救世主失格なのだ。
ティモフェイ
末裔がなんと言おうとも。この世界ではそのように呼ばれても。
ティモフェイ
ずっと前から、そうなっているべきだった男が、
ティモフェイ
『ティモフェイが救世主であること』を、願われている。
ティモフェイ
自分と同じ顔が年甲斐もなく涙を流している様子を見ると、正直勘弁してほしいという気持ちになるが。
ティモフェイ
けれどこの男のために救世主として立ち続けることには、
ティモフェイ
どうやら自分の中では、異論はないようだった。
ティモフェイ
「トイトロールというのは、ほんとうの名ではないだろう」
ティモフェイ
そう心の中でだけ思って、けれど言葉には出なかった。
ティモフェイ
”この”トイトロールと半年間共に在り続けてきたのだから、
ティモフェイ
最後の最後で何を加えても、蛇足というものだ。
トイ
その首に長いこと、この半年余り巻き付いていた首輪の掛け金が外されて。
ティモフェイ
微笑みに息をついて、忘却の雪を見上げた。
ティモフェイ
その白い中に封じ込めてしまう、忌まわしき雪。
ティモフェイ
『トイトロールの救世主』として、このオールドメイドゲームを戦い抜く限りは、
ティモフェイ
胸に懐いたこの想いを、きっと忘れることはないのだろう。
ティモフェイ
ティモフェイというただ一人の愚かな男にとっては。
ティモフェイ
積み重ねてきた犠牲を無に返してでも最後の一人、
ティモフェイ
最後の最後、ただ一人のためだけに、世界を救うと心に誓った。
トイ
救世主を求める『堕落の国』。
奇跡の儀式『オールドメイドゲーム』